父の初盆に選んだ仕出し料理——整った一皿が、整った時間をくれた日。

季節の食材を使った彩り豊かな和風仕出し弁当。鰻の蒲焼きや天ぷら、刺身、焼き魚、ローストビーフなど多彩な料理が一つの重箱に美しく盛り付けられている。 コラム
旬の彩りと味わいを一折に詰め込んだ、京都割烹やなぎさわやの人気No.1仕出し弁当花響。大切なご会食や新盆・法事の席にふさわしい上品な味わいと見た目で、ご家族や親族の集まりを優しく彩ります。

蝉の声が響きはじめた、ある夏の日。

父の初盆の準備を任され、
一番に思い浮かんだのは——
「料理、どうしようか」という、曖昧で漠然とした不安でした。

失礼のないように、
でも、気張りすぎないように。

誰かに「よくやってくれたね」と言ってもらえるか。
それとも、「ちょっと見た目が…」と後から囁かれるか。

ほんの些細なことが、
親族の記憶にも、自分の心にも
長く残ってしまうのが“法事の料理”です。

今回は、安倍さん(仮称)の
“初盆の施主代理”としての体験を通じて、
「料理の見た目」がもたらす安心と品格について
綴らせていただきます。

「母の一言」で動き出した、初盆の準備

季節の食材を使った彩り豊かな和風仕出し弁当。鰻の蒲焼きや天ぷら、刺身、焼き魚、ローストビーフなど多彩な料理が一つの重箱に美しく盛り付けられている。

旬の彩りと味わいを一折に詰め込んだ、京都割烹やなぎさわやの人気No.1仕出し弁当花響。大切なご会食や新盆・法事の席にふさわしい上品な味わいと見た目で、ご家族や親族の集まりを優しく彩ります。

「料理は、ちゃんとしてる?」

母の何気ないその一言が、私の初盆準備のスイッチを押したのです。

今回、父方の初盆の施主代理を任されたのですが、
正直なところ料理については
「とりあえず頼めばなんとかなるだろう」と考えていました。

ですが、母の問いかけが
どこか引っかかって離れなかったのです。

思い返せば、過去の親族の集まりでは
「料理はそこそこだったけど、見た目がちょっとね…」
という声が聞こえてきたこともありました。

味だけでは測れない“場の印象”が、
料理の見た目に左右されることもあるのだと、
改めて思い出したのです。

「あの料理、誰が頼んだの?」
と後々言われるのは避けたい。

母の一言は、料理選びに対する私の意識を、
思いのほか大きく変えてくれました。

“きちんと感”のつもりが、逆効果にならないか

過去の法事や親族の集まりを思い返すと、
「料理の味は悪くなかったけど、
なんだか雑な印象だったよね」
といった会話が耳に残っています。

きちんとした場でこそ、
料理の見た目や整いが、
全体の雰囲気に影響を与えることを
身をもって感じる瞬間がありました。

「料理の見た目くらいでそんなに違う?」
正直、最初はそう思っていました。

でも思い出すたびに、
あの場の空気が、どこかチグハグだった理由が
じわじわと浮かび上がってきたのです。

誰も言葉にはしないけれど、
“整っていない料理”が場に与える影響は、
思った以上に大きい。

「自分のときは、そんな風に思われたくないな」
そう思うと、急に焦りにも似た気持ちが湧いてきました。

今回は、「安心できる見た目」を基準に、
仕出し料理を選ぼうと決めたのです。

やなぎさわやとの出会いで見えた、「安心の輪郭」

「京都割烹やなぎさわや」さんのことを知ったのは、
会社の先輩が法事で利用したという話がきっかけでした。

そのときに見せてもらった写真が、
実に静かで、品があって、
何より“整っていた”のをよく覚えています。

電話で問い合わせてみると、
対応は落ち着いていて、どこか品のある印象。

料理の内容だけでなく、
「器の選び方」「色合いの印象」
「ご年配の方の見え方」まで、
こちらが言う前から丁寧に案内してくれました。

聞けば、季節の色合わせや、
全体の余白のバランスまで計算して
一皿ずつ盛り込んでいるとのこと。

器の縁に、ほんの少しの余白があるだけで、
料理全体に静けさが宿る。

盛りつけの高さ、色の組み合わせ、質感の対比——
そのどれもが騒がしくなく、呼吸がゆっくりになるような佇まいでした。

“派手さ”ではなく“品格”があること。
“ボリューム”ではなく“調和”があること。

その料理を出すだけで、
「ちゃんと考えてくれている」と
自然に伝わる——

そんな料理を見つけた気がしたのです。

蓋を開けた瞬間、空気がやわらいだ——

初盆当日。
配達時間ぴったりに、
やなぎさわやさんの仕出し料理が届きました。

重箱のような風合いの器をそっと開けた瞬間——
場の空気がふわりと変わったのを覚えています。

「……きれいねぇ」

一瞬の静けさのあと、
叔母がそっとつぶやいた声。

言葉にならない感嘆が、
その場にふわっと広がっていくのを感じました。

私はその一言で、
自分の中に張りつめていた何かが
静かに溶けていくのを感じたのです。

色のバランス、盛りつけの高さ、
器の質感までが調和していて、
どの方向から見ても「整っている」。

そこには、
“わざとらしさ”も“飾り立て”もありません。

ただ、静かに整っているというだけで、
なぜこんなにも場が穏やかになるのか。

それまで少しピリついていた
親族同士の距離感までもが、
すこしずつ和らいでいくのを感じました。

料理には、
見た目で空気を整える力がある——

そんなあたりまえのことを、
このとき初めて、身体で理解したような気がします。

「よく選んだな」——父の一言に救われて

法要を無事に終え、
皆が食事を終えたころ。

父が私のそばに来て、
ぽつりとこう言ったのです。

「よく選んだな。恥ずかしくなかった」

それだけの短い言葉でしたが、
私にとっては、この上なく大きな安心でした。

普段は多くを語らない父。
でも、親族の目や体裁には人一倍気を配る人です。

そんな父の一言で、
「今回の判断は間違っていなかった」と
ようやく肩の力が抜けました。

さらに数日後、叔母から届いたお礼の電話でも——

「あのお料理、見た目が本当にきれいでね。
ああいうの、安心できるわね」

そう言ってもらえたことが、
不思議と心に余韻のように残っています。

料理って、
“場を整える道具”でもあるんだな——

そんな気づきをくれた今回の経験は、
これから先、誰かの法要や節目を迎えるたびに
きっと思い出すのだと思います。

またお願いしたい。
そう自然に思える出会いでした。

もし、あの日の私と同じように
「料理、どうしようか」と少しでも迷われている方がいれば——
この体験が、そっと背中を押すきっかけになれば嬉しく思います。

まとめ|“整った料理”がくれる、整った時間

形式ばった場ほど、
料理の「味」だけでなく、
「見た目」や「所作」に心を配ることが、
何よりの安心につながる。

今回、やなぎさわやさんにお願いして、
私はその意味を身をもって感じました。

盛りつけの静けさ、器の品格、
そして、その場にふさわしい整い。

料理が“整っている”というだけで、
人と人との距離まで、
やさしく整っていくのです。

あの日の父の一言、
叔母のやわらかな声、
そして自分の中に残った穏やかな記憶。

それらすべてが、
料理の見た目から始まった小さな余韻でした。

次の法要でもきっと、
「またお願いしよう」と、自然に思える。

そんな仕出し料理との出会いに、
心から感謝しています。

 

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